母が甲子園に連れていってくれた、、
小学生の頃だったと思う
近所のお兄ちゃんが何人かを連れて春になり夏が来ると
いつも甲子園に野球を観に行っていた
今ではカメラマン席で座れない外野のバックスクリーンのすぐ横
の席を目指して早起きして、いつもそこらに座っていた
画面では小さくてよく分からないけど
昔はTVカメラの写し方が今とは逆で
バックネット裏から撮影していたので結構みんながテレビに映ってた
「映ってたやろ」とよく自慢気にみんなが話していた
のを羨ましく聴いていたのを今でもよく覚えている
ぼくはその輪の中には入れてもらえなかった
小さかったからかな
家があまり裕福でなかったので友達のお母さんたちが
気を使って誘わないようにと言ってくれていたのかなあ
とにかく大好きな野球の試合を生で見る瞬間は
まだもう少し先だったような記憶がある
母は休日も休みなく働きづめの毎日だった
父の入院生活が長かったので退院した後も
家計は苦しくみんなの家とはちょっと違っていたような感じだった
初めての甲子園
夏休みのある日、母が「野球みにいこっか」と言ってくれた
僕の胸はときめいた、夢にまで見た甲子園に野球を観に行けるんだ
素直によろこびながらも
お母さん仕事大丈夫かなあ
無理してないかなあ
とそんなことに気を遣う子供でした
無理をして休みを取ってくれたその日がきっと晴れますようにと
ずっとずっと心の中で祈っていた
阪神甲子園駅に着いたとき僕の興奮は最高潮だった
ながめる甲子園が大きかったこと大きかったこと
無料の外野席はたくさんのお客さんで埋まっていて二つ連続で空いている席を見つけるのは大変だったけどなんとか席を確保
座ってすぐに食べた握ってくれたおにぎりと冷やして持って行ったお茶の味は今でも覚えている
試合は大阪代表の大鉄高校と津久見高校、今改めて当時のスコアとかを調べると壮絶な打ち合いの末延長戦に入りというくだりを見てもあまり覚えていなくて
ただこの試合凄いことが起こった
延長戦に入って裏の攻撃で満塁ホームランが飛び出し
大鉄高校の劇的なサヨナラ勝ち
ホームランボールは何と僕が座っていた席の頭上を通り越してスタンドに突き刺さったっていう感じでした
唸るような硬球のシュルシュルシュルって音がはっきりと今でも覚えている
この興奮からぼくの野球大好き少年の歴史ははじまったのです。
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